今日は「地産地消の日献立」でした。
給食の放送では、「全国学校給食週間」についての説明がありました。以下紹介文です。
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学校給食は、明治22年に山形県鶴岡市の忠愛小学校で、お弁当をもってこられない子どもたちのために、おにぎりと魚、漬物を用意したのが始まりです。その後、第二次世界大戦で中断され、昭和21年に再開されました。当時は戦争の影響で食べ物が不足し、子どもたちの栄養補給が大切な給食の役割でした。昭和50年代に入るとご飯給食が導入され、献立もバラエティー豊かになりました。「全国学校給食週間」は、当時の気持ちを忘れず感謝するとともに、学校給食の意味や役割について考えるための一週間です。
学校給食の役割をあらためて考えてみる一週間にしたいものです。
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今朝も多少温かさを感じる中の朝ボラでした。
この2週間でプール周りがとてもきれいになりました。参加してくれたみなさん、ありがとうございました。
この最近気温が低い中部活動に取り組む日が多かったのですが、今日は気温が高かったので、活動しやすかったようです。
屋外の部活動は風もなく、いい声が響いていました。
気温が低い日は底冷えのする体育館の部活動。今日はいつも以上に動きが軽やかです。
ボランティア部は、公民館に寄贈するティッシュケースの製作をしていました。
ここからは気温だけでなく、地域の人に使ってもらいたいという温かい気持ちも感じました。
昨日から全国学校給食週間が始まっています。今日は、カレーに地元の食材じゃこ天が入っていました。地元の食材を取り入れる栄養士さんの工夫を感じることができました。
1月も最後の週になりました。
今週は3年生の最後の懇談会(希望者のみ)があります。進路について詰めのお話をさせていただいきます。お忙しい中とは思いますが、よろしくお願いします。
明日の朝ボラはⒶグループ(各学年1,3組)です。
今日から1週間、全国学校給食週間です。以下文部科学省HPからの引用です。
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我が国における学校給食は、明治22年に始まって以来、各地に広がっていきましたが、戦争の影響などによって中断されました。
戦後、食糧難による児童の栄養状態の悪化を背景に学校給食の再開を求める国民の声が高まるようになり、昭和21年6月に米国のLARA(Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救済公認団体)から、給食用物資の寄贈を受けて、昭和22年1月から学校給食が再開(「学校給食実施の普及奨励について」昭和21年12月11日文部、厚生、農林三省次官通達)されました。
同年12月24日に、東京都内の小学校でLARAからの給食用物資の贈呈式が行われ、 それ以来、この日を学校給食感謝の日と定めました。昭和25年度から、学校給食による教育効果を促進する観点から、冬季休業と重ならない1月24日から1月30日までの1週間を「学校給食週間」としました。
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生徒のみなさん、全国給食週間に合わせて、日頃食べている給食にじっくり注目してみましょう。栄養士さん、調理師さんのいろいろな工夫や思いを感じることができると思います。
12月に静岡県の掛川市立城東中学校との交流についてお知らせしました。
下は、この交流について紹介された愛媛新聞の記事です。(↓タップするとこれを紹介した本校HPの記事にとびます。)
1月7日の静岡新聞と中日新聞には、城東(じょうとう)中から城東(きとう)中に送ったものが届きいたという内容の記事が載りました。その城東(きとう)中学校の生徒会のみなさんがその新聞を届けてくださいましたので載せさせていただきます。
静岡新聞(令和3年1月7日)(↓タップするとWEB版にとびます。)
中日新聞(令和3年1月7日)
新聞2紙に合わせて、城東(きとう)中の校内に掲示されている様子を写した写真も入っていました。(↓タップすると、城東(きとう)中学校HPにとびます。始業式でこの交流が紹介されたようです。)
新生徒会のメンバーで、今後どのような交流を行っていくか、話し合っていきたいと思います。
昨日の話題です。
英語検定が行われました。5級6名、4級11名、3級6名、準2級2名の計25名の生徒が受検しました。
自分の力確認しようと挑戦する姿、輝いて見えます。